━ アンリ・マチス [ Henri Matisse ]の略歴 ━ |
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1869年 |
12月31日ノール県ル・カトーに生れる。
最初、法律を修め、代訴人書記となる。 |
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1889年 |
この頃からデッサン、絵画に興味をおぼえる。 |
1892年 |
画家となるためパリに出る。 |
1995年 |
エコール・デ・ボーザールのギュスターヴ・モローの教室に入り、ルオーらと知り合う。 |
1896年 |
サロンに初出品、国家買い上げとなる。 |
1896年 |
師モローが死ぬと、翌年アカデミズムから離れ、パリのアカデミー・カリエールに通い、ドランらと知り合い、その紹介でヴラマンクとも知り合う。
その前後の一時期新印象主義に近づく。 |
1904年 |
ボラールの画廊で最初の個展。 |
1905年 |
夏をドランとコリウールですごし、ともにフォーヴィスムに達する(『コリウールの窓』1905年、ニューヨーク、ジョン・ヘイ・ホイットニー蔵など)。
翌年ガートルード・スタイン宅でピカソと出会う。
この年アルジェリア、翌年イタリアに旅行。 |
1911年 |
2年続けてモロッコへ旅行。この時代からさまざまな空間表現の実験、装飾的要素の大胆な使用を試みる。 |
1916年 |
この年から冬をニース、夏をパリですごすことが多くなり「オダリスク」の主題を好んでとりあげる。 |
1922年 |
版画を積極的に制作。 |
1933年 |
アメリカ、メリオンのバーンズ邱の壁画『ダンス』を制作以後、平面化と単純化の試み(『バラ色の裸婦』1935年、ボルティモア美術館など)をへて、40年代の大室内の連作に達する(『赤い大室内』1948年、パリ、国立近代美術館など)。 |
1943年 |
南フランスのヴァンスに定住、切り紙絵に専心し『ジャズ』として出版(1947年)。 |
1948年 |
建築のプラン、壁画、ステインド・グラスなどすべて自身の構想になるヴァンスの礼拝堂を完成した。 |
1954年 |
11月3日ニース郊外のシミエで死去。 |